それはまだミズヤが幼い頃だった。
人ごみの中、何やら揉め事らしいと人々が振り返る。
「おいお前、人の大事な息子にぶつかって謝罪もなしか」
「は~? 何だお前。こんなチビがうろうろしてるのが悪いんだろうが・・・・・・ぶべっ」
その若者は吹っ飛んだ。
顔の美しさをのぞけば、どう見てもその辺りにいる主婦によって。
夕飯用のスーパーの袋を脇によけ、その主婦は不敵に笑い挑発する。
「この程度で済むと思うなよ」
それはまったく服装と合わないセリフだった。
庇われている彼女の息子は目の前の出来事が飲み込めず硬直している。
「このアマッ!!」
相手の力量も見切れないチンピラは無謀にもその主婦に襲いかかって行く。
そこに華麗とは言い難い、重く容赦ない一撃が襲いかかる。
手加減という言葉も知らないわけではなかったが、大事な息子を傷つけられたことにネジが一本飛んでいたのだ。
「はっ! どうした。
それで終わりか? その程度の力しかないくせに粋がるな、この馬鹿どもがぁ!!」
「びええぇぇぇ・・・・・・」
その馬鹿どもが助かったのは、そもそも自分達がぶつかったせいで乱闘騒ぎになった主婦の子供のおかげだった。
息子が泣いたために気を取られた主婦を余所目に一目散に逃げて行くが、主婦はそんな他人よりわが子が大事と駆け寄る。
「ミズヤ、どうしたの? もう大丈夫よ」
それはさっきと違い、慈愛に満ちた優しい言葉だった・・・・・・のだが。
「わああぁぁぁん」
子供は泣きやまない。
「あらあら、どうしたんでしょう、ねえバークさん」
ちょうど帰りの遅い二人を迎えにきた荷物持ちの父親がやってくる。
遠目で一部始終見ていたのかその顔には縦じわが寄っていた。
「お父さーーーん!!」
息子は母親を無視し、一目散に父に駆け寄り母を指差しこう言った。
「怖いよぅぅぅ」
「そ、それが別居した理由・・・・・・」
士官用の広い部屋に感動する間もなく、父から語られた真実にミズヤは放心した。
「そうだ、大変だったんだからな。
お前は全然泣きやまないし、セシリアには拒否反応しか起こさないし」
しみじみと父は言う。
「本当はずっと一緒にいたかったのに、仕方ないから別れて暮らすことにしたのよ」
うるうると瞳を滲ませながら母は言う。
「だから最初に言ったんだ、その性格を何とかしろと」
「だってこんな話し方じゃ舐められるじゃない」
「だからと言って息子に怖がられてどうする?」
俺のせい、俺のせい、俺のせい
母が出て行ったのは自分のせい。
なんてばかばかしい理由だろう。
無性に笑いが込み上げてくる、駄目だ立ち直れない。
母に幻想を抱いていた分、衝撃は凄まじかった。
あの時の衝撃も凄まじかったのだろう、豹変した母の記憶など全く覚えてなかった。
「もういい年にもなったし、お前に話そうと思った矢先に誤解して出て行ってしまって。
本当に探したんだぞ」
突然話を振られてもミズヤは応えられない。
「落ち着いて三人で話そうと思っていたんだが、昨日の夜、セシリアがお前に興味を持ったのが分かったからな、センが母親なんてびっくりしただろう」
「そりゃあもう」
ああ俺、返事出来たんだ。
「セシリアは軍ではいつもセンで通しているからな、分からなかっただろう?」
「・・・・・・あは」
昨夜、あの一撃を避けれたのは見た事があった上、父経由で味わった事があったからだろう。
だって母さんだもんな・・・・・・
ミズヤの思考はバークの部屋から飛ぶ。
それ程の衝撃だった。
唯一救いなのは、セシリアの美しさが変わってないことだろうか。
サングラスを外し息子に向ける笑顔は、あの記憶のままの美しく優しい母だった。
ただし性格を除けば。
いや、それはただミズヤが知らないだけだったのだが。
「ミズヤ、やっとこうやって会えたんだもの。
休みの日はうんと私に甘えていいんだからね、今まで母親らしいことができなかった分を埋めさせて頂戴」
セリフだけは立派な母親なのだが、どうにも軍服とのギャップがある。
母さん、俺はもう子供じゃないんだから
否定したかったが、二日間で染み付いた軍人根性は上官に対し拒否の言葉を出せないと言う弊害を起こした。
無言を肯定と受取り、母は息子に頬ずりする。
よっぽど息子に会えたのが嬉しかったのだろう。
しかし妻の性格を知り尽くしている夫は息子に忠告する。
「ミズヤ、教練が始まるとセシリアはいつもの性格に戻るからな、息子な分厳しくなるぞ・・・・・・がんばれ」
とってつけたような最後の励ましがむなしく響く。
こうしてミズヤが軍隊に入った目的はあっさりと達成されたのだった。
ふらふらふらとミズヤは通路を歩く。
先程の出来事から立ち直れなかった。
あの時短気を起こさず父の話を聞いておけばと後悔しないでもなかった。
男にとって、幼い頃に別れた母親の偶像を打ち砕かれるというのは、かなりの衝撃である。
セン大尉が母。
女って怖い。
それほど女性経験がないミズヤは少し女性に対しトラウマが出来てしまった。
そんな時に限って女性に会ってしまうもの、というかその相手はミズヤを探していたのだが。
目の前に立つのがシエルだと分かったが、今は女性に近づきたくなかった。
それに自分より大きい女性は苦手だ。
「さっき、面白い光景があったね。セン大尉とどういう関係なんだい?」
母親だよ。
と言うのすら億劫だった。
正直男ばかりの自分の部屋でベッドに沈む方がいい。
「メシュナー中佐とは親子なんだって?」
ああ、どうして女って詮索好きなんだろう。
ベルク! ガル! 男の友情が愛おしい。
と、訳の分からない思考にミズヤは陥るが、それを救ったのはつい今までミズヤを詮索していた苦手な大女のシエルだった。
「その疲れた顔は、昨日の戦闘のせいだけじゃないね。
本当は何かあったって聞きたいけど、今はこんなとこかな」
そう言ってその大柄な体でミズヤをすっぽりと包んでしまった。
粘ると言っていたが、積極性もあるらしい。
しかしその大柄な体に身を預けると不思議と安心感がある。
まさに幼い頃、母に抱かれるような・・・・・・
ミズヤはうっとりと目を閉じた。
少なくともシエラはそれほど見た目と中身が違う事はない。
母親と言う女性に衝撃を受けたミズヤは、シエラの女らしさに知らず知らず惹かれていた。
この回が書いてて一番楽しかったです。
行き当たりばったりで書いたので、主人公に彼女ができそうです(笑)
(2009.12.12)