残される者 6

 慣れない旅にロツは苦労したが、ツガートという頼れる夫がいたから何とか耐えていた。子供と二人住み慣れた町に残って苦労するよりどれほどましだろうか。
 そんな思惑はあれど、子供の存在も大きかったとはいえ、ツガートもロツも確かに愛し合ってはいた。
 そして少しずつ大きくなる息子に剣を教えるのは、ツガートにキャラバンに居た頃を連想させた。妻に無理をさせたという引け目はあったが、それでもツガートにとって幸せの極みであった。
 ツガートもロツも幸せを感じていた。これがずっと続くとも信じていた。


 最初は戸惑う事だらけだったロツもようやく旅に慣れ、数年が経った頃、ツガートは盗賊に襲われていたある家族に遭遇した。
 脳裏に両親が死んだあの時が蘇り、居ても立ってもいられなくなったツガートは、妻と息子に動かないよう言い残し、相手の数は多かったが無我夢中で助けに向かった。
 やがて他の旅人も加わりその家族は事なきを得る。守れた事にツガートは心底喜んだ。あの時は守れなかった、だが今なら何とか守れる力を身に付けたのだ。
 もう子供ではない。結婚して子供も出来て、一人の大人となったのだ。それがたまらなく嬉しかった。自分はあの時望んだ自分になれたのだ。家族を守る力を得る事が出来たのだ。
 早く妻と子供の顔が見たくて仕方なかった。これほど会いたいと思った事はない。

 気付くと思ったより時間が経っていた。何かお礼をと言うその家族に別れを告げ、ロツとオウンを迎えに行くと、何故かそこには誰もいなかった。
「ロツ、オウン?」
 呼びかけの声はやがて必死の叫び声へと変わる。しかしどこからも返答はない。
 ツガートは辺りを捜しまわった。捜して捜して、やっと争った跡を見つけた。

 嫌な予感がする。

 胸騒ぎがした。

 それは覚えのあるものだった。
 忘れたくても忘れられない。あの踊り子の少女とキャラバンへ向かった時と同じざわめきだった。
 嘘だ嘘だと思いながら、やがて血の匂いが鼻を突き始める。
 手があった、人の手だ。それも子供の。
「オウン・・・・・・」
 それは切断された愛する息子の右手だった。その手はしっかりと剣を握っている。
 勿論すぐ近くに右手以外もあった。そのすぐ後ろにはロツもいる。既に息をしていないのは離れていてもすぐに分かった。
 オウンがロツをかばっていたのが見てとれる。十にも満たないというのに、まだまだ未熟な腕で少し前に買い与えた剣を抜いて、必死で母親を守ったのだ。
 いつの間にか子供は大きくなっていたのだ、ひょっとしたら自分達夫婦より大人になっていたのかもしれない。
 右手を失ったオウンは、ツガートに誰かを思い出させる。
 あぁ、そうだ。自分に剣を教えてくれた男と同じなのだ。あの人もきっと最後までみんなを守ろうとしたのだろう。みんなをかばって右手を失ったのだろう。
 だが彼は命は助かったがオウンは命を失った。
 息子のその成長は嬉しかった。嬉しかったが、それはこれからも見続けたかったのだ、ロツと共に。

「すまない」
 謝ることしかできなかった。二人だけにしなければ少なくともこんな事になりはしなかった。先程までの自信に溢れた自分を笑ってやりたい。
 ロツはいつも自分が離れる事を怖がっていた。旅に慣れている自分は大丈夫だと笑い飛ばしていたのだ。
 なんて自分は馬鹿なのだろう。
 自ら手に入れたものを自ら失ってしまったのだ。
 仇を取ろうにも誰にやられたのかも分からない。先程助けた家族と同じく、盗賊に襲われたのか。別の何かに巻き込まれたのか。
 どこにもその怒りをぶつけられなかった。


 再び空虚を抱えたツガートはそれでも歩き出した。また時が癒してくれるかもしれない、後から考えればそう思ったのだろう。
 ツガートは自分が頼られるのが嫌ではない事に気づいていた。だがもう誰も頼ってくれない。少し未熟だったがそれでも愛していた妻。幼い瞳で自分のようになりたいと言ってくれた息子。
 もう誰も肩に背負う者はないのだ。


 歩き続けた。旅は慣れたものだ。意識せずとも生き続ける事が出来た。
 ただ生きているだけという旅を続けた先で、ツガートはある少年を見つける。
 痩せすぎて少年なのか少女なのか分からないが、とにかく助けなければと乾いた唇に水を含ませてやった。
 抱き寄せた体は軽い。だがよく見ると顔立ちは少年に間違いない。
 やがてむさぼるように水を飲み始め、自分にすがる少年に、ツガートはふと自分を取り戻したような気がした。
 今ここに助けてやれる人間は自分しかいないのだ。
 ツガートは少年を背負い、そして歩き出した。

ここでツガートだけの過去編は終わりです。次はマインの少年時代から始まります。
(2011.1.8)