「どこへ、行く」
離れようとした気配を察したのか、ツガートが声をかける。マインを傷つけようとする時以外に声を聞くのは久しぶりだ。
たとえそれが咎めるような声であっても、マインの中に例え様もない思いが溢れてくる。
「何か、食べるものを見つけてくる。何かべないと、だめ・・・・・・だから」
マイン自身も、言葉を話すのは久しぶりで、うまく言葉が繋がらない。でもツガートと会話ができるのが嬉しくて、何とか言葉を繋ごうとする。
そんなマインにツガートは目をやる。
ツガートは、マインにそのままどこかに行けと言いたかった。
いや、そう言わなければいけないのだ。
わかっているのに、そうしなければいけないのに、持て余すほどのマインへの執着心がその言葉を飲み込ませる。
あれほどのひどい目に遭いながら、何故マインは逃げ出さないのか。どうしてツガートの思いを察することができないのか。
口を開いたのは間違いだった。マインに声をかけるべきではなかった。
何も告げずに離れようとするのが許せなかった、怖かった。あれだけのことをして、まだ自分に縛りつけようとしている。
昨日はマインの顔が変形するほど殴っている。後悔という感情からは縁遠くなってしまっているが、明るい太陽の下では多少の理性を絞りだせた。
食べ物を探しに行くならさっさと行ってしまえばいい。マインを視界に収めたことで、再びツガートの狂気が湧き出さないとも限らない。
早く行ってしまえ、今の自分の視界にに入るな。
それはある意味ツガートの懇願だった。今のなけなしの理性だったのだ。
しかしマインは目を閉じたツガートを心配して、彼のそばに身を寄せてしまった。
今はひょっとしたら、あの優しいツガートかもしれない。話しかけてくれたということは、昔のツガートに戻る前兆なのかもしれない。
そう思っても仕方のないことだった。
自分の狂気を押し込めていたツガートは、そばにマインを感じた。目を開けると、すぐ前にマインがいる。
この馬鹿が!!
声を出す代わりにツガートはマインに襲いかかった。
両手を押さえつけ、どうしてやろうかと体中を見回す。
腫れあがった顔の中からマインの瞳が見える。殴る場所がないほど腫れあがっていた。
そう、自分がやったのだ。
「は、ははは・・・・・・」
かすれた声が痩せた喉からこぼれる。もはや笑い声を上げることすらできない。
大人の自分がこうなのだから、少年のマインにツガートを払いのける力など残っているはずもなく、抵抗すらできずただツガートを見つめていた。
ツガートが手を緩めるとマインが怪訝な顔をする。この状態で殴られなかったことなどないのだ。
それを正確にツガートは読み取ることができた。腫れあがった顔でも、マインの瞳で読めたのだ。
何ということか。暴力を振るわないことに疑問を持たれるなんて。しかし今のツガートにはマインの中の自分に愕然とするどころか、更なる笑いしかこみあげてこない。
あぁ、自分はいつから狂ったのだろうか?
それでもツガートにマインを殺すつもりはないのだ。なぜならツガートなりに今でもマインに愛情を感じているのだから。
本当の息子以上に愛しく思えて、それでは死んでいったオウンに申し訳なくて、でも今そばにいるのはマインしかいないのだ。
単純に息子の代わりとして愛せればよかったのに、オウンと同じようなことをしてもマインは全く違う。
太陽と見紛う髪に縁取られた輝くような笑顔が、ツガートの愛情と罪悪感をそれぞれ刺激したのだ。
マインの腫れあがった顔に同情する自分がいる。
それとは別に感情をもてあます自分がいる。
自分がこれほど暴力的な人間だとは思わなかった。
自分がわからない。
どうしたらいいのだろう。
わからないからマインを傷つけても手放すことができないのだ。
自分の下で身動きすらしないマイン。
この苦痛であろう旅で再びやせ細っているが、それでも自分に比べればまだまだ瑞々しい肌。
一瞬ゴクリと喉が鳴る。
そういえば空腹だったのだ。
そう思ってからツガートは慌てて首を振った。そんな事がしたいわけじゃない。
違うんだ!
ツガートはマインの顔に手を添えた。そのまま横の地面に手を置き項垂れる。
本当は傷つけたいわけじゃない。そうじゃないんだ。
自分の上で葛藤するツガートを見上げるマインは、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。
殴るなら殴ってくれてかまわない。
自分が重荷になるのはわかっている。
それでも一緒にいたいのだ。
たとえ自分を見てくれる時がわずかだったとしても。
わがままをしているという自覚はあった。
ツガートのそばにいたい、ただその思いがツガートの全てを受け入れさせていた。
今のこの状況の半分はマインが作り出したといってもいい。
もはや二人の関係は破滅的だった。二人でいる限り打破しようのない迷路に入り込んでしまったのだ。
なお一層悪いのは、互いにそこから抜け出そうとしないことだろう。
しかし、その抜け出せない道に、踏み込んでくる者があった。
旧携帯サイト版より若干ツガートの行為を抑え目にしています。
(2012.1.7)