破滅への出会い 8

「あの子は、何か言って?」
 少し俯き加減にツガートは医者に問う。
「別に何も。そろそろ退院してもいい頃だとは気付いてるだろうけどな。これからどうする? とは聞いてない」
「それは・・・・・・」
 判断をツガートに任せてくれたと言う事だろうか。親でも何でもない赤の他人の男を。もちろん最初にマインを保護施設へ預けるかもしれないと聞き、治療費入院費を全て払ってきたという事でツガートを無下にはできないと思ったのもあっただろうが、それだけが理由ではない。
「マインと、話をする。どうするかを」
「あぁ、好きにしてくれ。ワシは、あんたの意見を尊重するよ。
 あの子は、あんたに懐いている」
「俺に・・・・・・? そうか、そう、だな」
「だがな、これだけは言っとくよ。自分の子供じゃないんだ、それは忘れるな」
「・・・・・・あぁ」



 少年は見違えるほどに変わった。
 最初の状態からは想像できないくらい表情は豊かだし、人見知りもしない。そして何より焼けていたせいでくすんでいたその髪が素晴らしく目を惹く。
 少年のくるくると変わる表情と共に揺れる赤い髪があまりにも似合っていて、回復の兆しを見せた頃ツガートは思わず見とれてしまった。ツガートだけでなく医者だって同じだろう。
 特に太陽の光を浴びると、その輝きは一層増す。ツガートはマインと町を歩くのが大好きだった。


 だから本当は医者の所で話しても良かったのだが、ツガートはマインを町へと誘った。特に目的もなくぶらぶらと歩くだけだが、それもいつもの事だった。ただ歩くだけでもマインは何かと話しかけてくるし、露店に目が行ったりと妙な間が開く事はない。
 いつもはマインが一方的に話す事が多いが、今回は珍しくツガートが「マイン」と話しかけた。少しびっくりしたようだが、ツガートから話しかけてくれたのが嬉しいのか、マインは「何?」とにっこりと笑い返す。
 あぁ、楽しいなとツガートは思う。マインの笑う顔を見ると自分まで楽しくなる。これを見れなくなるのは非常に残念だ。だからツガートは迷わなかった。
「マイン。これからの事、考えてるか?」
「・・・・・・」
 先程までは盛大な笑みを浮かべていた顔がすっと表情を無くす。マインの年なら、やろうと思えば自立出来ない事もない。苦労するだろうが決して子供ではないのだ。
 だがそれは今までの下地も重要だろう。マインは今まで両親と共に本当に普通に暮らしていたのだ。いきなり一人で放り出されるかもしれないと思えば、不安にだってなる。そんな事をツガートや医者がさせるはずはないが。
「ツガートは、どうするの?」
 自分よりツガートがどうするかを先に聞く所に、まだまだ誰かを頼りたいと言う心が現れている。だがそれはツガートにとっては正に望む通りの展開だった。
「俺は、また旅に出る」
 その返答はマインも想像していた事だった。いつか来る、いつか来る。そう思ってはいたのだ。医者の事は嫌いじゃない、でも医者は医者という職業だ。ただの通りすがりのツガートは見捨てる事も出来たのに、マインを助ける事を選んでくれた。よりツガートの方に親しみを感じても仕方ないだろう。
「・・・・・・いつ?」
「まだ決めてない」
「そ、か」
 いじめてるつもりはないのだが、これでは大人が子供に意地悪をしているように見えるだろう。通り過ぎる人々が時折こちらに目をやるのが視界の端に見えた。
「マインはどうする」
「え?」
「ここに残るか?」
 ツガートは自分に選択肢を与えてくれている、それを理解するとマインの顔は晴れ晴れと輝いた。
「それとも、俺と来るか?」
「うん!」
 正に返事の見本、とも言うべき見事な返事だった。話の途中で、自分に付いて来ると確信はあったがそれでもここまで肯定してくれるとはツガートも思わなかった。
「そうか、来るか」
「うん!!」
「本当にいいんだな?」
「うん!!!」
 その何のためらいもない返事が嬉しくて、ついついツガートは何度も確認してしまった。最後の方はもうマインはツガートにしがみついて離しもしないくらいで、もう少しマインが小さかったら、きっとツガートは抱き上げていただろう。
 いや、いっそ抱き上げたって構わないのだ。ただマインが恥ずかしがるかもしれないと、そう思ったから実行しないだけで。だから抱きしめ返すだけにした。周りにはどう見えただろうか? 年の近い親子か、年の離れた兄弟か。

 腕の中の子は、かつて抱いていたわが子より随分大ききけれど、抱く幸せは同じだった。

 なんて幸せな感覚なのだろう。

 一度失ったものが、再び手の中に帰って来たのだ。

(2011.7.4)