第一章 第一話 7

 口づけされた瞬間に目を瞑ったため、マインは相手の変化を見る事が出来なかった。
 別に口づけを味わいたいわけではなく、親友の顔をこれ以上アップで見たくなかったのだ。
 やや下から押し付けられていた唇がだんだん上っていく。
 押さえ込まれる腕も抗い難い力になってきており、何かが変だと思うが、やはりいくら友人でも自分に口づけしている男の顔は見たくない。


 アルセンは自分の変化が終わるのを確かめ、自らの意思を戻した。
 異氏の一族、見た目は人間と変わらないが、人間とは異なる種族であり、特に性別の境が曖昧で、相手の意思を何らかの形で受け取ることにより、その姿形だけではなく性別すら伴侶により変えられる長寿の一族である。

 その長き人生を一つの性別で生きる者は珍しく、この世には他にもいくつかの種族がいるが、特に相手の種族性別にこだわることなく、自分が愛した相手であれば躊躇なく伴侶に選ぶ、ある意味情熱的な一族としても知られている。
 他の種族に比べ珍しい力ではあるが、異氏の一族自体はそれほど珍しいものではい。世界で一番多い種族は人間であるが、最も他種族と交流を持つのは異氏の一族である。数としては人間が圧倒的に多く、その他種族は極端に少ないものを除けば似たり寄ったりの数であった。
 異氏の一族自体元々それほど数が多いとは言えないが、同じ場所に留まるよりも旅をする者が多く、またその変化には自らの意思が絶対であり、強制されようが脅されようがほんの少しでも自分の意思と違う要素が加わればその力が発揮できない事は広く知れ渡っているため、それほど自分が異氏の一族だと隠す者も少なかった。

 異氏の一族が旅を好むのは、やはり一か所に留まれば好奇の目で見られ、そして何よりもその長い寿命を持て余してしまうからである。
 それならば同じ一族の者を選べば良いのではないかと思われるが、もちろん長きにわたり添い遂げる夫婦もいるが、元来恋多き種族でもあり自らに比べれば短い人生を生き抜くその儚さに彼らは惹かれた。
 短い人生を駆け抜けるその一瞬に惹かれるのかもしれない。
 異氏の一族は自らが怪我や病死しない限り愛した者を必ず看取る事になり、長き寿命故にそれを繰り返す。
 それでも彼らは自ら愛した相手の、最後のその時まで相手を愛する。
 他の種族にとって、よほどの事がない限り自分より先に逝く事もなく、また自らの望む姿で自分を愛してくれ、また感情、特に恋愛の感情の機微に聡く、側にいてくれる相手でこれほどの相手はいない。

 したがってその異氏の一族に好かれたマインは周りから羨ましがられる状況のはずなのだが、マインがアルセンに望んだ姿が昔共に旅をした頃の姿だった為、大の男にキスされる状況に陥ってしまっている。
 まあ、あのやりとりで女を想像しろと言うのも無理な話だが。


 実はそもそも変化をするだけなら、特に口づけしなければならないと言う事もない。
 涙や血を舐めとるよりも手っとり早いので、そうすることが多いが。
 肉体の一部を通しても出来ない事はないが、味覚などは人間と変わらないのでそうする者は少ない。

 アルセンの方も、既に変化は終えたのだからこれ以上口づけする必要もないのだが、先程の怒りを口づけで補っているためマインを離さない、そろそろ衝撃から立ち直りかけたマインの忍耐も限界に来ている。
 この状況は決して訪れる事がないと思っていたため、不本意な形で叶えられる事になった望みを、アルセンは嫌と言うほど味わってからようやくマインを解放した。

 それは絶妙のタイミングだった。

 まさにこれ以上続けばブチ切れるという所まで来ていたマインは、沸点の瞬間に解放され気勢を削がれたためとっさに言葉も出てこない。
「やはりこの話し方にはこの姿だな」
 やっと目を開けたマインの目の前に、二十年前と寸分変わらぬアルセンがいた。
 実際は出会った頃の三十年前から変わっていないのだが。

(2010.4.24)