第一章 第三話 11

「遅かったな」
 家に帰り着くと、娘より先にアルセンが声をかけてきた。
 しかも台所から。
「?」
「遅い。せっかくアルセンと御飯作ってたのに」
「え、ああ。悪い」
 いつもなら無言の視線が返ってくるだけなのだが、アルセンがいるので言葉が返ってくるのを何となく寂しいと二児の父親は思う。
 テーブルの上にはいつもより少しだけ豪勢な食事。
 そういえば昔、よくアルセンに作ってもらったなと思い出す。

「アルカは?」
「食べてくるって」
「そうか」
 誰と? と聞いても、それ以上の会話の発展がない事が分かるので、マインは言葉を飲み込む。
 メーネがいた時は二人の会話を聞いていれば自ずと分かったのだが、自分ではどうしてもそれが出来ない。
 出来ないというか、思春期の女の子の気持ちがわからないのだ。

 その様子を見ていたアルセンは、マインが人並の親をやっているなと、見つからない様に苦笑をかみ殺す。
 本当はあの少年が・・・・・・と思うと、声を出して笑いたいのだが。

 そこへ玄関の戸が開く音がした。
 皆が振り返ると、案の定この家のもう一人の住人、アルカだった。
「お兄ちゃん? 何か早くない?」
「・・・・・・」
 ジロリと妹を見る目に、ああ何かあったなと一同は思う。
「早いなら良かった、今日はいつもより多めに作ったからちょっとは食べてよ」
「ああ」
 ここは女、これは夕飯を食べてないなとピンと来たので、うまい具合に固まりかけた雰囲気をフォローする。
 だんだんジエンがメーネの代わりとなってきているのだろう、マインは申し訳ないと思いつつも、その成長を嬉しく思う。


 結局昨夜と同じメンバーで夕食を取る事になる。食事は豪華になったが、今度は昨日ほど会話が弾まない。
 ジエンはアルセンの手前何とかしないと、と思うのだが、兄がこれほど不機嫌を表すならエスナ関係だろうと思うので、下手に口を出す事も出来ず、結局黙り込んでしまう。
 子供二人が黙り込んでしまったので、マインとアルセンが延々と話し続ける事になるが、グリスが感謝していたという事は昨日の件を話す事になってしまうので話題に出せず、結局昨日と同じ思い出話になる。
 まさかマインもアルセンも、アルカがその件を知っているとは思いもしない。
 黙々と食事を続ける子供たちの前で、父親とその友人はいつの間にか子供達そっちのけで話に夢中になっていく。

 なんだかんだで、再会してから二人でゆっくりと話す時間がそれほどなかったのだ。昨夜にしても、飲んでいることの方が多かった。
 子供たちはその二人に疎外感を感じ、どちらともなく席を立つ。気分を害したわけではなく、父親に好きなだけアルセンと話をさせてやりたいと思ったのだ。
 昨日の夜、アルセンと楽しそうに話していた父親を覚えている。母親であるメーネが死んでから、アルセンは極力その悲しみを表わさないようにしていた。
 普段と変わらぬ様に、メーネがいた頃と変わらぬ様に、それでも必死に隠しているのを子供たちには分かっていた。
 メーネが死んでから数カ月が経つが、誰もあのマインの表情を引き出せなかった。
 それを全く誰も知らない、昔の知り合いだというアルセンがやってのけたのだ。忘れてほしいと思っているわけではないのだが、メーネを失った悲しみが少しでも和らげばと思うのだ。
 アルカとしては複雑なのだが、その思いはジエンと同じである。


 さて、明日は少し時間に余裕がある。どこか案内しようか、どこかへ食べに行こうか。
 マインは次の日が来るのを楽しみにした。
 妻が死んでから、これほど翌日が訪れるのを楽しみにした事があっただろうか?


 それは本当に普通の日々だった。ただアルセンが現れた。それだけの日常の出来事だったのだ。
 それでもマインにとって日常の全てが変わった。アルセンがいるだけで訪れる日、全てが色鮮やかなのだ。








 いずれ世界が戦火で覆われる。

 その言葉は世界を縛り付けた。

 預言者の言葉は互いを疑心暗鬼に陥らせ、数々の争いを招く。

 十年たった今でも、世界はその言葉から抜け出す事は出来なかったのだ。

(2012.4.8)