第一章 第三話 10

「マイン、マーイーン」
「・・・・・・へ? あ、悪い」
 ハンデル、カーダルにエンリ、そしてロウド、周りの視線が自分に注がれている事に気づき、マインは慌てる。
 昨日の件を話し合っていたのだが、酔いの醒めた頭では、忘れられれば良かったのだが、昨夜の事が鮮明に思い出され意識を余所へ飛ばしていたのだ。
 あの時のあまりの恥ずかしさに話に集中出来ていなかった。
 何故か照れながら謝るマインに、長のハンデルを含め一同が訝しげに見つめる。
「何かあったのか?」
 いつもはこういう時に集中力を欠く事はないマインをカーダルが心配するが、本当の事を言えるはずがなくマインは笑って誤魔化す。
 話せばエンリあたりにからかわれるのが目に見えているからだ。
「で、話の続きだが、シャージが王都に向けてすでに書簡を出した。
 勝手に行動を起こすわけにもいかんしな」
 一同の中に三年前の戦いが蘇る。
 セーダルはトーメルクに近いが故にあえて参戦こそしなかったが、当然エルンの方に思い入れはあり、トーメルクへの印象は悪い。
 役人であるシャージも同じであるが、自分の立場を自覚している分それを表に出す事はない。
 そのシャージは明け方まで書状を書いていたので、ハンデル以下皆シャージは寝ていると思い込んでいる。実際は若い少女とお茶をしていると知ったら、長のハンデルもその口元に皮肉を浮かべただろう。

「確かに今の状態じゃあ動きようがないな。ま、何が起こるか分からんから、見張りだけは強化するか」
 エンリが話をまとめかける。
 全員言葉には出さないが、ミアを心配しているし、グリスの容体も気になっている。
 かと言ってトーメルクへ治療費をよこせ、とは言えないのだ。
 それがよく分かっているからこそあえて誰も言葉に出さない、出した所で結論が出るわけでもない。
 それにそれを一番口に出す権利があるのは、この中ではグリスの親友であるロウドだろう。
 しかしロウド、そしてミアの父親であるハンデルが口に出さない以上不毛な愚痴を言い合っても仕方ない。

 マインを除く年長者三人組は、町を形成し、国に属した事により起こったこの不便さにため息をつく。仕事嫌いな人間が集まっているわけではないが、目の前の決裁待ちの紙の束がこの時ばかりは一同に重くのしかかった。



 結局いつもより仕事に時間がかかり、長の家を後にしたのは日も落ち切った頃だった。
「ロウド、グリスの奴はどうだ?」
 カーダルとエンリがハンデルの元へ個人的に残っているので、二人きりになったマインはロウドに尋ねる。
 グリスは昨夜のうちに自宅ではなく一人暮らしのロウドの家に移ったらしい。動くのも辛い傷だったろうに。だが動くのも辛い体だからこそ、ミアと同じ家にいてその姿を見られることを心配したのだろう。
「・・・・・・・・・・・・」
 ロウドは上手く誤魔化す事も出来ず、唇をかむ。
 マインは昨夜の、「あまり気にしすぎるな。過ぎた同情は彼のプライドを傷つける」というアルセンの言葉を思い出すが、やはり長い付き合いな分気になってしまうのだ。
 しかしロウドの様子を見れば聞かなければよかったと後悔する。
「まだ、まだ今はシンゼラの所に帰せない」
 グリスの妻、シンゼラにはただ友人の家に泊まっていると伝えてある。まず昨日の事件ですら伝えてないのだ、今のボロボロのグリスをそのまま帰すわけにはいかない。そんな状態の夫が帰って来た時、真実を言えない以上何と説明するのか。
 それ以上にまだグリスの身体的、精神的な傷が癒えていないのだ。
 それならばいっそ親しい友人のロウドの所に居る方が、男同士だし気楽だろう。
「そうか」
 早く癒えるといいな、とは言えなかった。
「マイン」
「ん?」
「昨日のアルセンだったか?」
「ああ」
「グリスが感謝していたと伝えてくれ」
「・・・・・・ああ」
 友人を褒められるのは何とこそばゆいか。思わず笑みをこぼしそうになり、不謹慎だと自重する。
 昨夜色々あったが、どうしてもマインはアルセンを身内の様に感じてしまうのだ。
 なので昨日の事もさほど腹が立っているわけではない。
 グリスを心配し、急ぎ足で去っていくロウドを見送りながら、マインはアルセンと子供たちがいる家に足を向けた。

(2012.3.20)