第一章 第三話 6

 エルンの首都であるエンドーアまで、セーダルから馬を飛ばしても五日はかかる。
 シャージは先程早馬に託した書状の到着の時間を思い、ため息をつく。
 首都に居た頃は、そんな時間を考える必要もなく、そのもどかしさが歯がゆい。
 あの名前も知らぬトーメルクの貴族の遺体は、防腐処理をし、保存してある。
 幸い身分を示す紋があったので隣国の主だった家紋を思い出してみるが、記憶にないのでそれほど身分は高くないはずだ。今の状況ではせめてもの救いか。

 非はこちらにないのだが、それを証明する者はセーダルの人間しかおらず、貴族という人種がそれで納得するか?
 一番の被害者であるグリスの証言もあるが、どこまで信用されるのかも怪しいものである。
 セーダル、トーメルクの間に何の問題もなければいいのだが、あいにく数年前まで戦争をしていた国である。その関係は良好とは言い難い。
 首都へ送った書状とは別にトーメルクへも今回の出来事の報告書をまとめ始めるが、気が重かった。
 だが、代わってもらえる者など誰もいない。
 首都からの返事は十日以上先だろう、いっそ独断でトーメルクと交渉するべきか?
 しかしそれは出来ない。そこまでの権限はシャージにはないのだ。

 これからやるべき事を考えるだけで夜が明けてしまった。折角の昨夜の余韻も消えてしまっている。
 書類をまとめ上げた右腕は重い。しかし昨夜はその腕に別のものを抱いていた。
 まだ少女の柔らかさを持つカラ。疲れた瞼を下ろすとその時の事がまだ鮮明に思い出される。

 だが、そういう時に限って訪問者がいるのだ。ノックの音に回想を中断する。
 タイミングの悪い客に悪態をつくが、ぶっきらぼうにドアを開けた瞬間にその気持ちは吹き飛んで行った。
「カラ」
「あ、あの昨日は・・・・・・」
 このパターンは「ありがとうございました」で回れ右だろうと、一回りほど歳の違うシャージは咄嗟に察し、先手を打った。
「とりあえずどうぞ」
「え? でも」
「立ち話も何だから、さあ」
 と、さりげなく逃げ道を塞ぐように体の位置を変えながら部屋へと招き入れる。
 疲れも吹き飛んだシャージは積極的であった。



 そしてそのカラを訪ねに彼女の家をミアが訪ねていた。
 昨夜自ら謹慎を申し出ていたが、どうしても巻き込んでしまったカラが気になって、いても立ってもいられなかったのだ。
 だがカラはいなかった。それはシャージの所へ行っていたからだが、それを知らないミアはきっと避けられているんだ、嫌われたんだと思い込み涙をこらえきれずにいた。
 結局帰る事も出来ず、カラの家の前で佇んでいたミアに目を留めたのはアルカだった。
 普段のはつらつとした様子が全く伺えない様子に、思わずアルカは声をかける。

「どうかしたのか?」
 ミアの友達の家だという事は知っていたので、ケンカでもしたのかと思ったが、何やら深刻そうである。
 しかもよく見れば涙を流している。その姿に妹の姿を重ねたアルカは放っておけなくなり、本人も認めたがらない面倒見の良さが発揮されてしまった。
「ミア?」
 アルカの言葉で、自分がどんな場所で泣いているのかに気づいたミアは、いつものように明るく答えようとしたのだが、感極まった感情がそうさせてくれない。
「な、何でも・・・・・・ない」
「そうは見えないが、何かあったのか?」
 あまり若い子に踏み込むのもどうかと、自分の若さを棚に上げ思ったが、声をかけた以上途中で投げ出す事も出来ない。
「本、当に、何でも、ないから」
 アルカに立ち去ってほしかった。これ以上言葉を出せば、今度は嗚咽になるだろう。
 その様子にアルカは遅刻を決意した。

「ミア、おいで」
 涙を隠すように、家へと連れ帰った。


 とりあえず道端で泣かせておくわけにもいかず連れ帰ったが、さてどうしたものかと温かい紅茶を入れながらアルカは悩む。
 最近は妹を慰める事もない。
 ここは大人しくミアが話すのを待つかと、テーブルを挟みミアの向かいに腰掛けてみる。
 しかしミアは口をつぐんでいた、昨日の出来事は話してはいけないのだ。
 だけど、アルカはマインの息子だ。ひょっとして昨日のうちに聞いていたりしないだろうか?
 少女の甘い考えがミアを満たしていく。

 聞いてほしかった、自分を優しく見つめるアルカ。ミアにはそれがとても大人に見える。
 ここにはマインの家で、アルカしかいない。アルカは大人だからきっと口も堅いはずだ。
 昨日の事を口にするという事は、自らの軽率さを告白する事であり、羞恥心を伴う事であったが、その辛さを解放する誘惑に勝てなかった。
「あ、あたし、昨日・・・・・・」
 その絞り出すような声が聞こえず、アルカはミアに近寄り、その普段とは違うか弱い姿に思わず頭を撫でてしまう。
 まずかったかなと思いながらも、ミアは嫌がるそぶりを見せなかったので、そのまま彼女の告白を聞く。その内容にはさすがに顔をしかめたが。


 アルカは昨日の朝の父親の件で頭がいっぱいで、そんな事があったとは全く気付かなかった。
 話せなかったという事もあるだろうが、自分達に心配させまいとしている部分も多いのだろう。父はそういう性格だ。
 アルカはそれほど自分が弱いとは思っていない。外面的にも内面的にも。
 それなのに、父の信頼に値する強さはないのだ。いや、少なくとも父にはそう思われている。
 屈折した父への思いがアルカの中に悔しさをわき起こらせた。

(2012.2.7)