数秒ではなく、数分が過ぎた。マインも既に抵抗を諦め、アルセンの口づけにただ耐えている。
マインを抱きしめているのは、相変わらずマインを上回る体格を持つ男だった。
唇が離れてようやく一息付いたマインは、閉じていた目を恐る恐る開けるが、思っていたよりアルセンの顔が近くにあり口を動かせない。動かせば唇が触れてしまいそうだったので。
だがアルセンの方はそんな事は気にする事なく言葉を吐き出す。
「マイン、何も望まないのか?」
「は?」
「俺に何も求めないのか? そんな価値もないのか?」
「アルセン?」
「お前に好かれていると思うのは、俺の傲慢か?」
「違う! そんなわけないだろ!」
「だったら、だったら少しくらい望みをくれ。
お前は女の方がいいだろう? お前は女になれないが、俺は女になれる。
なあ、マイン」
それは悲しい望みだった。アルセンの美しい顔が歪む。
その顔を自分がさせてしまっている、マインはアルセンにそんな顔をさせたくないが、最も望む言葉は与えてやれないのだ。なぜなら・・・・・・
「アルセン、どんなに言われたって、俺にとってお前はその姿だ。
それ以外の姿なんか想像できるか」
「・・・・・・結局、俺はただの友人以上にはなれないんだな。は、せいぜい保護者か? それ以外に望みようがないんだな!」
アルセンが自虐的な笑みを浮かべる、それはマインも見た事のない壮絶な恐ろしさと美しさを持つ笑みだった。
「ア・・・・・・ルセン?」
怖かった、今までアルセンを怖いと思った事などなかったのに。
アルセンはいつも自分の心情を読んでくれるような所があった、それは一族特有の力故だったが、だから言い争いをしてもいつの間にか丸めこまれる事が多かったのだ。
なのに今回は違う、マインに恐怖が走る。
マインの知らないアルセン、それがある事に気づきもしなかった。
「!」
戸惑うマインを絶望に支配されたアルセンは手荒く床に押し倒した。
「ちょ、お前! 冗談じゃないって」
マインの背に冷や汗が伝う、この体勢は非常にまずい。
「俺は本気だ」
何の感情もない言葉、外見のままの体力を持つアルセンに五十前のマインは敵わない。
しかし必死で抵抗する。
それでも口づけから逃れる事は出来なかった。
体を変化させる目的以外で初めての、ただただ純粋な口づけだった。
アルセンの望み、その一方的な望みをマインに押し付ける。
妻とするような口づけに死に物狂いでマインはもがく。
「アル・・・・・・セン。もう、少し・・・・・・話を、聞け」
「知るか」
マインを拒絶する、マインを拒絶しながらアルセンはマインを求める。
マインは合間に何とか口を開こうとするが、アルセンはその隙を与えない。
普通は女に訪れる危機感を全身で感じ、マインは渾身の力を振り絞った。
「アルセン! お前が女になろうが何も変わらないだろうが」
「変わる!」
「何をそんなにこだわるんだ!」
「お前は女の方が好きだろう」
「そりゃそうだが、だからってお前が女になったからって、俺が好きになるかは関係ないだろ」
「男のままよりは望みがある」
「違う、違う違う。何か違うぞ。
大体さっきから言ってるだろう! お前の女の姿なんか絶対に想像出来るか!
俺にとってのお前はその姿だって言っただろう! その姿以外のアルセンて何だ!」
「マイン?」
「だいたい何だよ、女になるって。
今までのままじゃ駄目なのか? 今の俺とお前じゃ駄目なのか?
そこまで俺に合わせるのは絶対に変だ!」
「マイン・・・・・・」
アルセンの手が緩む、だがマインはそのまま身動きをしない。
「愛する相手に合わせたいと思うのが、それほどおかしいか?」
何百年もそうした生き方をしてきた異氏の一族は、その始めてぶつけられた言葉に戸惑う。
「お前、三十年前に会った時はこんな事しなかったよな。
ただ二人で旅をしてただけだけど、俺はすげえ楽しかった。
お前は違うのか?
ただお前がいれば俺は幸せだった、アルセンはそうじゃなかったのか?」
「それは・・・・・・」
三十年前に出会ってから約十年の二人の旅、マインを好きだと思った、愛してほしいと思ったのに、一族の力を使う事なく共に過ごした。
マインと出会った時のままの自分で。
その時間は例えるもののないほど幸せな時間だった。
だからこそマインを忘れられなかった。愛し愛される、それを抜きにしてただそばにいたいと、ずっと二人でいられれば何もいらないと思った時間。
「そうだな、確かに幸せだった。二人でいるだけで幸福だった。
マイン、お前が一番望む俺は、この姿なのか?」
アルセンがマインに見せるいつもの優しい笑みを浮かべる。
「俺がアルセンだと思うのは今のお前だ。
むしろその姿以外のお前ってお前じゃないっつーか・・・・・・」
マインは上手く言葉に出来ず、顔を背けて顔を赤くする。その様子にふとアルセンは出会った頃の少年のマインを思い出し軽く笑う。
マインはアルセンに変化を求めなかった。
マインの知っているアルセンが、マインにとってのアルセンなのだ。
「マイン、それは口説き文句に聞こえるぞ」
「・・・・・・へ?」
そんな意図のなかったマインは間抜けな声を出す。
少々衣類が乱れた状態でそんな声を出すマインに、アルセンの中の男の感情が動かないでもなかったが、今はマインの言葉で十分だった。焦る必要はない。
「なあマイン、俺はあの頃に戻りたかったんだろうか?」
「アルセン?」
マインの全てがアルセンのものだったあの頃。
「いや、違うな。
今でも十分あの頃と同じくらいに幸せだ。
目の前にお前がいる、それだけで違う。
マイン、二十年の間は戻ってこない。せめてその間を埋めさせてくれ。
そばに、いさせてくれ」
アルセンの告白は、何とマインの欲しい言葉をくれるのか。
マインはその言葉に拒否する理由が全くなかった。
マインは自分の首筋に顔を埋め、嘆願しながら抱き締めてくるアルセンを初めて抱き返す。
「昔のようにそばにいてくれるなら大歓迎だ」
ただ、アルセンの気持ちに応えられるとは限らないが。
冷静になったアルセンは、そのマインの複雑な気持ちを読み取るが、もうこれ以上は何もしない。
マインもアルセンに押し倒されるのは勘弁しほしいが、かと言ってここですぐにアルセンとさよなら、というのは避けたい。
妻や子供達とはまた別の、とても大切な存在なのだ。
「ほら、どいてくれ。重いって」
さすがにマインがアルセンを自分の上から押しのけようとするが、アルセンは面白がって離れない。
ただの嫌がらせで離さないのがマインも分かっているので、乱暴に引き剥がす。
飲んだ後に血流の良くなるような事をしたので、少し頭がふらつく。
でも折角開けた酒を残しはしなかった。アルセンが自分より酒に弱いのを知っていて、マインは先程の腹いせとばかりに注ぎまくり、結局そのまま二人、居間で朝を迎える事になる。
マインのそばにいられる。
それは何と幸せな事か。
だがきっとその幸せに俺は慣れてしまう。
その先のさらなる幸福を、いつか求める。
俺はお前を諦めない。
次からはいつもの調子に戻ります。
(2010.10.9)