第一章 第三話 1

 死角となる所に居たので、誰に見られる心配もなかったのはマインにとって幸いか。
 昔は自分の腕にすっぽりと収まったがマインが、さすがに同じような背ではそれもままならず、アルセンはどうにも頭が撫でにくい事に苦笑し、さすがにマインの外見的にもやりづらいなと思う。

 一方涙が引いたマインには、改めて恥ずかしさが襲ってきていた。
 年甲斐もなく泣いた事もそうだが、ついさっきまで自分を愛していると言った男に頼って泣いたのだ、しかも別の人物を思いながら。
 付け込んでくださいと言わんばかりの状況を自ら作っておきながら、昔と変わらずただ慰めてくれるアルセンに急に羞恥心がこみ上げ、恥ずかしさのあまり顔が上げられない。
 だがこの体勢のままなのも恥ずかしいのだ、アルセンの肩に顔を埋めながらマインはどうしようかと考え込む。
 アルセンはマインの衝動が収まったのを感じ、肩に預けられた頭の重さに軽く身じろぎすると、マインは大げさに驚き逃げの体制を取る。
「・・・・・・」
 アルセンは何してるんだこいつ? と改めてマインの顔を覗き込むと、どうやら気まずく感じているらしい。
 このままでは決まりが悪いか、と感じたアルセンは、マインのまだ涙が残る頬にそっと唇を寄せ、それを舐め取った。

「うわあぁぁ!」
 案の定大声を上げて飛び退くマインに、アルセンは大口を開けて笑う。
「お、お前なぁ!!」
 その声に照れはあっても先程までの気まずさはなかった。
「ははは、まだ目が赤いぞ。折角だから町を案内してもらおうかと思っていたんだがな」
「は? 町? あ、ああそうだな、よっしゃ案内するぞ! 行こうぜ」
 まだ多少の気恥ずかしさもあったせいか、マインはアルセンの手を引き強引にあちこち連れまわし始めた。
 その様子を手のかかる子供を見るように見つめるアルセンに、居心地の悪さを感じないでもなかったが、やがてそれも忘れいつしか昔のように肩を寄せ合いながら言葉を交わす。

 大声を上げて笑うマイン、それはマインにとってメーネが死んで以来の心からの笑いだった。
 何を我慢することもない、何を気負う事もない、幸福な時間。
 それを互いに感じていた、マインにとってもアルセンに取っても互いが相手であるからこそ訪れる時間だった。

 通りすがりの者から見れば少し変わった光景だったろう。どう見ても親子程年齢が離れ、しかしどう見ても血の繋がりは伺えない男二人が仲良く肩でも組むかという勢いで歩いているのだ。
 マインの方は見慣れた顔ではあるが、剣の腕とハンデルの補佐としてセーダルでは目立つ方であり、もう一方の男は道行く誰もが振り向くような人目を引く容姿なのだ、勘繰りたくなるのも無理はない。

 が、誰一人声をかける者はいない、かけられないのだ。

 排他的なその雰囲気に、皆声をかけるのを躊躇う。

 もはやマインとアルセンの中心は二人でしかなく、それがおかしいとも思わないし二人にとって昔からそれが普通だったのだ。
 ハンデルの家を出た時、すでに夕暮れに近かったが、やがてどっぷりと日が暮れ、ようやく二人とも腹が空いている事に気付く。
 二人にとって今この瞬間を失うのが惜しくて仕方ないが、どんな時でも容赦なく押し寄せてくる空腹感には勝つ事が出来なかった。
 考えてみれば今日一日緊張し通しだったのだ、無理もない。
 一人姿を消した犯人の不可解な行動に今後の懸念が予想されるが、取りあえず今の所マインに出来る事もなく、大人しく腹を満たしに家へと向かった。



 アルセンにとっては二度目のマイン宅である。
 一度目はじっくり家を見る事もなかったが、二人で旅をしている時は家など持たなかったので、こうして自宅を構えると言う事は考え深いものがあった。
 アルセンはただそうした物思いに耽っているだけだったが、マインの方は今朝方この家でアルセンに何をされたかをつい連想してしまう。

 この家には息子と娘がいる、平静な顔を装わねば・・・・・・と二児の父親は息子に見られた事など思いもせず顔を引き締める。

 出迎えたのは案の定息子のアルカと娘のジエン、エプロン姿から分かる通り妻のメーネが死んでからはジエンが家事を担っていた。
 マインもやってやれないことはないが、昔は外で食事を作る事が多く、結婚してからもメーネに任せていたので、家事に関しては大雑把なマインに比べればまだアルカの方が家事には向いている。
 だが、そこそこ几帳面なのでやれと頼まれれば料理くらいは作るだろうが、アルカの台所姿がいまいち本人のイメージに合わないと嫌がった妹が、ここは女の自分に任せろと言ってくれたので、男共はありがたくそれに甘えていた。
 しかし当然家族三人分の夕飯は用意していたのだが、父親が連絡もなく客人を連れてきてしまったので、成人男性一人分を賄える量には足りるはずもない。
 ここは一言文句を言ってもいいようなものだが、ジエンはアルセンに見惚れており苦言の一つも出てこなかった。この反応はいつもの事なのでマインは気にしないが、何故か息子が苦虫をかみつぶしたような顔でアルセンを見ている。
 その視線を父親が不思議そうに見ているので、とりあえず朝のシーンを見てしまった事を父親に気づかれていないと確信したアルカは内心ほっとするが、妹の呆けた顔に今度は内心焦り始めた。

 ジエン、その男だけは駄目だ! 理由は言えないが駄目なんだ!

 という兄の心の叫びが聞こえたのか、やっと正気に戻ったジエンが照れ隠しの様に父親に文句を言った。
「もう、お客さん来るなら先に言ってよ! ごはん、まだなんでしょ?」
「おう、悪いな。こっちはアルセン、父さんの・・・・・・古い友人だ」
 長達の所でアルセンが言ったままの紹介をする。
「どうも」
 あまりに無愛想な言葉に、もう少し料理を増やさせねばと台所に向かいかけたジエンが目を丸くして振り返る。
 もう少し愛想良くして、もう少し微笑んでみたら女の人がわんさか寄ってくるのに、とジエンはお節介な事を考えるが、世の中これがいいという女性も多いのである。
「ああそうだマイン、ここまで来て何だが実は宿を取っていない。悪いが泊めてもらってもいいか?」
 実際セーダルに着いて早々、ミアの救出などで町を離れたので腰を落ち着けて町を回ったのはさっきが初めてだ。その時には宿の事などすっかり抜けていた。
 それはマインも同じであったし、ミアの件に結局巻き込んでしまったのも自分だと思っていたので深く考えず昔の調子で「は? 宿なんか取らなくていいって、俺の家があるんだから、何を遠慮し・・・・・・て・・・・・・」とそこまで言ってから気付いた。

 あまりのアルセンのさり気なさに釣られたが、今朝方の事を思い出し途中から苦笑いに変わってしまう。しかしここは子供達の手前、そんな考えを振り払う。そんな父親に娘のジエンは疑問の目を向け、息子の方は内心頭を抱えるのだが。

 な、何を考えている。こいつは昔からの友人じゃないか! 友人友人友人友人・・・・・・
 昔を思い出せ! あの時は二人っきりでよく一緒に寝たじゃないか!!

 と下手をすればどつぼにはまりそうな事を考えながらも、何とか自分を無理やり納得させる。
 席についたまま黙りこむ父親の横で、アルカが恐る恐る疑問を口にした。
「えぇ・・・・・・あの、アルセンさんは、その・・・・・・父とは古い友人だとおっしゃいましたが・・・・・・」
 いるはずもないが、微妙に自分の娘の彼氏にでもしそうな口調でアルカはアルセンに探りを入れる。
 変な緊張感を持って顔をひきつらせるアルカに、マインは首を傾げるが、確かに古い友人と言うには今の自分とアルセンの外見は違いすぎた。

(2010.9.13)