早馬は飛ばした。自分はすぐにでもトーメルクに出向けるよう準備をすればいい。
とにかく出来るのはここまで、今現在はエルン、トーメルク両国の間に表立って何事も起こっていないのだ。
強固な真似に出る事も出来ない。
シャージは焦りを鎮めるため、黒に染まりつつある空の下を歩き始めた。
仕事は好きだ、頼られるのも悪くない。
それに、実はこのセーダルという民族を結構好きになってきている。
王都の人間の大半と同じく、シャージも王都の周りに点在している民族の町を蔑視していた。しかしこの町の良さに触れるたび、飛ばされたとも感じたこの町での仕事を今では得難い物に感じている。
軽蔑を持った自分を大らかに笑い飛ばす人々、その笑いをたまらなく好きだと思う自分に苦笑いする。
それでも時々は少し疲れる事もある。
セーダル内の事に関してはハンデル達は飛び抜けた手腕を発揮するが、今回のような外の事柄に関しては政治と言う意味では素人である。
当然、その分はシャージの肩へと伸し掛かってくる。
嫌ではないが、ふと気を抜いた瞬間の重い気分はどうしようもない。
しかしそれを他人に見られたくなかったため、足は自然と人のいない方へと向く。
「?」
ふと足が止まる、泣き声が聞こえたような気がしたのだ。
何気なくその方向に足を向けてみると、意外な人物に出会う。
いや、人物自体は意外ではないのだが、その人物が泣いているという事が意外だった。
「カラ」
その光景に思わず名前を声に出してしまい、しまったと思う。
案の定カラはシャージに気付く。
それほど女性を慰める事を得意としないシャージは、内心回れ右をしたいと思うが、見てしまったからには放っておけないし、彼女が遭遇した恐怖を思うと、大人の男として慰めねばと思い直し少女に近づく。
しかしミアを通してだがシャージの知っている限りカラという少女は明るく前向きな性格で、一人うずくまって泣く少女ではなかったはずだ。
シャージは知らないが、廃屋から戻る時もカラは泣かなかった。
ずっとミアを気遣っていたのだ。
「家に帰ったはずでは?」
慰めようと近づいてこれはないだろうが、カラは大人しくその言葉に応える。
「わたしだけ戻ってもいいなんて」
「カラ、君が反省しなければならない事は何もない。ミア嬢が心配でついて行ったのだろう? 皆分かっているし、ミア嬢だってそう思っているはずだ」
そう、友達を止められなかった。
それがどんな罪なのか、カラが罪意識にさいなまれる事はない。
セーダルの考えでは全ての行動は自己責任であり、ミアが国境に行ったのも自分の責任である。
カラが後を追ったのも自分の責任であれば、共に捕まったのもその結果だ。
十分に報いは受けている。
むしろ友達であるミアを心配して、という考えをシャージは羨ましいと思う。
心配だから追いかける、自分ならまず追いかけるべきかどうかを考えてしまうだろう。
カラの性格は人に流されるようなものでもないし、シャージはカラに対して悪い印象を持っていない。彼にしてはそれなりに頑張って慰めている。
カラは聡い少女だったので、同族の男達と違う奇妙に曲がりくねった慰めをちゃんと受け取っていた。
しかしあまりシャージと触れ合う機会もないカラは、見た目通りの冷たそうな都の人という印象を今まで抱いていたので、思わぬその不器用な優しさが逆に自分の愚かな考えを際立たせているように感じた。
これ以上何か声をかけられたら、あの時自分が思った愚かな考えを告白してしまいそうになり、その場から逃げだしたくなる。
耐えられなくなったカラは無言で頭を下げ、身を翻そうとしたが、シャージはとっさにその手を掴む。
先程以上に涙を流す少女を年長者として見過ごせなかった。
「カラ、そこまで泣くのはどうしてだ?」
直球にも程がある質問だが、本当にシャージにはここまで目の前の少女が泣く理由が分からなかった。
文官とはいえ大人の手。
見た目よりも大きなその手にカラは安堵を覚える。
その安堵はとうとうカラの中の醜さを吐き出させた。
「あの時、本当は逃げ出したいと思った。
わたし一人助かりたいと思った。
ミアに付き合わなければこんな目に合わなかったって、そう思っ・・・・・・」
そう言ってひどく落ち込む少女に、シャージはなんだそんな事かと思う。
自分だけ助かりたいと思って何が悪い? どんな人間でもちらっと考える事だろう。
それをまだ純粋な少女は、自分の醜い感情に直面し混乱しているだけである。
そう割り切れる大人の自分にはその純粋な考えは心が洗われる様で、そのカラの高潔さに思わず涙を流す少女を腕の中に抱きとめる。
その高潔さが今の疲れた心に優しかった。
明るい性格の為大きく見えがちだが、実際の少女の体は鍛えていない自分の腕の中に収まる細さである。
女の子、いや女性だろうか? その体の柔らかさに先程の焦りが薄れていく。
とても心地よかった。
「・・・・・・カラ、私は誰にも言わないし、吐き出してしまえばいい。
私は君の考えを好ましく思うよ。自分のその感情に直面できるなら、君は素晴らしい大人になる」
決して逞しくはない胸だったが、大人の強さにカラは感情の安らぎを覚える。
それは今までにない感情だった。
大人になれるだろうか? この人の横に並べる、そんな女性になれるだろうか?
でも今はこの人の腕の中に居たいと、少女の時との決別の、最後の涙を流した。
心地よい少女の体を抱きしめながら、ふとシャージは自分達の年の差を考える。
カラは確か十六、大丈夫、年は十違うが犯罪じゃない。
何も問題がないという結論に達したシャージはその事に満足した。
少女を抱きしめながら見る夜空。
今この時を自分は忘れる事がないだろう。
(2010.8.1)