第一章 第一話 10

 ホンの話によると、三人が攫われた場所は馬を飛ばして三時間ほどの廃屋だという。
 トーメルクの貴族は一人服装が違う上、所詮育ちの違いが見えているらしく見間違えるはずはないといとの事。
 その為、あまり腕っぷしに自信がないホンは大人しく外での待機を自ら申し出た。
 しかしそのトーメルクの貴族以外の誘拐犯はどう見てもただのごろつきだという。
 別に貴族とつるんでいるのが珍しいとは言わないが、おかしい事には違いない。
 ミアの身分は長の娘でもあるので、金銭目的と思えなくもないが、たとえ貴族が金に困っていたとしてもわざわざ誰かを雇って他国の娘を攫うとも思えない。
 ましてや自ら姿を見せるなど。
 しかし目的が分からないからと放っておくわけにもいかないので、とりあえず救出を一番とする。
 もちろんシャージの言葉もそれぞれ肝に命じている、今トーメルクと揉め事を起こしたくないのはシャージだけではないのだ。

「そう言えば、どうしてトーメルクの者だとわかったんだ?」
 馬を飛ばしながら、アルセンがホンに顔を向けた。
 その言葉に一同も耳を傾ける。ミア達が攫われたことに気を取られ、そこに思い至らなかったのだ。
 他国とはいえ、貴族の服装にそれほど違いがあるわけでもなく、ごろつきならばそれこそ服装では判断できない。
「それは、自ら名乗ったんですよ」
「!」
 誘拐犯がわざわざ自ら名乗る。その怪しさが一同の雰囲気を更に重くする。
 それでもここで馬首を返さないのは、救出しないという選択肢はないからだ。
 よしんばトーメルクと揉める事になろうとも所詮は小さな町での誘拐事件、シャージの政務能力にも信頼を置いていたし、貴族さえ殺さなければなんとかなるだろうと思っていた。
 しかしそうは思っても、陽気なエンリが口を開かない事にマイン達の緊張感が伺える。
 ロウドに至ってはミアだけでなく、信頼しているとはいえ親友のグリスの事も心配していた。ミア達を庇うのは想像に難くない、むしろそうでなければ皆の信頼を得ているはずはないのだが、その結果を思うとやはり長年の親友としてはグリスの身も気になる。
 普段の二人の親友振りを見ている一同は、自分の親友だったらと考え心を痛めていた。
 妻や子供達への愛情とはまた別の、男にしか分からない友情だろう。

 セーダルの民は元々遊牧民であり、馬術に長けていた。
 マインも二十年セーダルの中で暮らしており、アルセンに至ってはここに居る全員の年齢を足した以上の時を生きているので、当然馬に乗っている時間も長く、セーダルの民に劣る事はない。
 誰一人足を引っ張る者もなく、三時間とかけずに廃屋へと辿り着く。

 離れた所にホン、表にロウド、エンリ、カーダル、そして裏にマインとアルセンが回り込む。
 昼を過ぎた頃なので闇に紛れる事も出来ないが、何故か見張りがいない。
 静まり返った廃屋だが、人の気配は伺える。
 何とも言えない居心地の悪さを感じ、見張りがいない事をただ幸運だと喜べない。
 二組とも慎重に廃屋へと忍び寄り、ありきたりなパターンだが、表からカーダル達が相手の気を引きつけている間にマイン達が裏から侵入する作戦が取られた。

 しばらく時間をおいてから、マインとアルセンは軽く目を合わせ、先にマインが窓から忍び込む。
 この廃屋に近づいた時から、二十年という年月が経ってはいたが昔の二人で旅をしていた頃の感覚が戻ってきていた。
 互いの癖も何もかも知っている、だから互いに最高のフォローが出来る。
 年を取ったマインは多少自分の衰えを心配していたが、その全てに目を配ってくれるアルセンを感じていた。
 今この時でなければ涙が出るほど懐かしい感覚だった。
 そばにこれほど信頼のおける相手がいるというのは、何と幸せな事か。

 懐かしい、嬉しい、大好きだった。

 いや、好きか嫌いかで言えば今だって好きなのだ。
 誰よりもそばに居てくれた親友として。
 思わず今ここに居る自分は二十年前の自分ではないのかと思ってしまう。
 だが感傷に浸っている場合ではない。それに流されるような若い時はとっくに過ぎてしまっていた。

「・・・・・・アルセン」
 その言葉にアルセンが頷く、血の匂いがするのだ。
 まだ表で争う声は聞こえてこない、それにそれは既に廃屋に充満していた匂いだった。
 誰の血か?  狭い小屋の中、その場所へはすぐに辿り着く事が出来た。
「グリス!」

 そこには縄をかけられた男と、地面に血を流し息絶えている男がいた。
 マインが縄をかけられた男に走り寄る、その男がグリスなのだろう。
 素早くグリスの様子を確認したマインは、とりあえず命の心配はない事に安堵する。
「マインか・・・・・・ミア達はこの中だ」
「お前・・・・・・」
 グリスの顔は腫れあがっていた、見えはしないが体中そうなのだろう。
 中のミア達を庇い、この扉の前に居続けたのだ。
「ああ、やっぱお前は頼りになるわ」
 文字通り体を張ってミア達を守ったグリス、その強さにマインは惜しみない称賛を贈る。
 しかし、いつもは強く頷き返す顔が暗く沈む。
 心配したマインが再び声をかけようとするが、アルセンが制した。
「マイン、少女達を」
「え? ああ」
 マインが取っ手に手をやった時、ちょうど表組がやってくる。

「グリス!!」
 グリスの親友のロウドが血相を変え駆け寄ろうとするが、これもアルセンに止められる。
 グリスも親友に顔を向ける事無く、アルセンの影に隠れた。
「先に少女達だろう」
 そのアルセンの正論にグリスは内心面白くないが、優先すべき順を間違えはしなかった。この救出劇に、一応は常識のある大人を選んだ成果か。
「しかし早かったな」
 戸をこじ開けながらマインがカーダルに問うと、三人が入った時には既に別の部屋で三人の男が事切れていたという。
 シャージの懸念する事態が現実味を帯びてきた。
 この部屋に倒れていた男は、服装、顔立ち、どう見ても貴族なのだ。
「一人、足らんな」
 カーダルがぽつりと呟く。
 ホンの知らせでは相手は五人のはずなのだ。
 それに貴族を傷つけない云々の前に、死亡していた。言い訳のしようがない。
 幸いなのはミアとカラに何の怪我もなく無事だった事だろう。
 彼女達に加えられるだろう事は全てグリスが庇っていたのだ。
 自分の迂闊な行動にひどく恐縮し、ミアは静かに頭を下げる。
 とりあえず貴族の遺体は持ち帰り、無事の救出となったのだが、トーメルクの貴族、そして顔色の冴えないグリスなど、懸念だけは残される結果となった。

(2010.5.9)