やさしい鬼

 わたしの愛した人は鬼でした。
 人が恐れる鬼でした。
 けれど、人よりやさしい鬼です。
 しかし鬼であるがゆえに人里では暮らせません。
 それでもね、好きなんだよ、和十

「また今年も不作かのう」
「最近不作が続いておる、昨年もその前もじゃ」
「おい櫛じゃ。またあの鬼の所へ行くつもりじゃ」
「ほんに何と物好きな娘じゃ、いくら悪さはせぬとはいえ鬼は鬼。
 櫛が世話をやくからこの村から離れようとせん」
「鬼に不作に、ほんに困ったのう・・・・・・」

 わたしはそんな聞えよがしの声を気にすることもなく山手へと向かう。
 そんなことを言われるのは今更だし、和十を好きになった時から覚悟していた。

 

『昔々は、まだ人と鬼が住んでいた。
 これは・・・・・・』



「和十ー、和十ー! 」
 わたしは木々の間に向かい声を張り上げた。
「櫛! 」
 その声は真上から降ってきた。見上げるとかなり高い所に和十はいる。
「そんな高い所に登って! またあの社を見ていたのー? 」
「ん? まぁ・・・・・・」
 するすると降りてきた和十は言葉を濁す。
「あんな何もない所なのに? 」
「・・・・・・そうだな、だからあんな所には行くなよ、絶対に」
「え? うん。別に行く用なんてないもん」
 和十がやさしく微笑んでわたしに忠告する。
 ああ、村のみんなはなぜこの和十が怖いというのだろう?
 こんなにやさしい笑みを浮かべる鬼のどこが恐ろしいと?
 陰口を言う村人の方がわたしには怖い。
 わたしは思ったことを口にする方だったので、遠慮なく和十に愚痴った。
「で、さっきね。また村の人がぶつぶつ言ってきたわ。
 和十は人を襲ったりしないって分かってるのに、怖がるのよ。
 それならそれで追い出す勇気もないくせに!! 」
 和十はわたしが持ってきたおにぎりにかぶりつくのをやめ、申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんな、オレが鬼だから・・・・・・。鬼の中には人を襲うものが多い。鬼は恐れられて当然だ」
 あぁしまった。わたしは和十にそんなことを言わせたいわけじゃない。和十はわたし達と何も変わらないって言いたかったんだ。
「違う、そんな事ない!
 わたし自分が鬼だったらって、和十と同じだったらっていつも思うわ!! 」
 その言葉は和十にとっても衝撃だったんだろう。あっけにとられた顔をしながら頬を染める。
「ありがとう。オレも櫛と同じだったらと思うよ。
 村へ行っても誰もオレを見て逃げない。そんな"人間"になれたら」
「和十!! 」
 その心が嬉しかった。その心が美しいと思った。
「知らないのよみんな。和十をただ角があって鬼だからって怖がって。本当はこんなにやさしいのに。
 知っているのは・・・・・・」

 わたしだけ・・・・・・

 和十を抱きしめたわたしを、強く抱きしめ返してくれる手。強くてやさしいその手にわたしは身を委ねた。
 わたしを抱きしめつつ、和十はもう一度忠告した。
「本当にあの社には行くなよ」


 幸せだった。誰も祝福はしてくれなくても、わたしが和十を好きで和十もわたしを好きでいてくれるなら。
 いずれは人里を離れてもいいと思った。和十と二人で静かに暮らして、それはきっと幸せだろう。


「櫛・・・・・・」
「はい」
 呼ばれた声に振り向くと、そこには村の長老と数人の男達がいた。
「少し話がある。わし達と来てくれ」
「・・・・・・はい」
 あがらいがたいその声にわたしは頷く事しかできなかった。


 彼らに連れられて歩く道。この道は社へ続く道。
 無言でわたしを連れ歩く長老達にわたしは不安を覚えた。
「あ、あの」
「いいから歩きなさい」
「でもこの道は! 」
 すると一人の男が振り向いた。
「櫛、よく聞きなさい。若いお前さんは知らんだろうが、わし達の村にはある風習があってな。
 近年のような不作が続くと、社の神に贄を捧げるのじゃ」
「! 」
「先程皆で決めた。
 次の贄は櫛、おぬしじゃ。
 家族のいないお前じゃ。悲しむ者も少なかろう」
 嘘だと思った。鬼と関わりを持つ自分の厄介払いも兼ねている。
 そう思ったが、いつもは思ったことを口にする自分が声を出せない。
 じりじりと後ろに下がる。
 その足が土につまずく。
 振り返るとすでに社は近くにある。そしてその周りの地面は畑を耕したばかりの様に荒れている。
「なぜ村の者がここに近づかぬようと言い含めていると思う?
 それはな、この土に娘たちを埋めるからじゃ」
「そ、それじゃ・・・・・・」
 この荒れた土には今まで犠牲になった娘達が埋まっている。
 わたしは恐ろしくて逃げ出したくなったが、逃げ道はすべてふさがれていた。
 あぁ、近づくなとはこういう事だったんだ。
 和十の忠告がよみがえる。
(和十!!)


 ザワッと風が動いた。
 和十は何かの声を聞いたような気がした。自分の中を恐ろしい不安が襲う。
(何だ? ・・・・・・声?
 あの・・・・・・社!?)
 和十は脇目も振らず走り出した。


 男たちに首を締め上げられながら、わたしは自分を助けてくれる唯一の存在に向かって助けを求めた。
「和、十。和十・・・・・・」
 助けて! 死にたくない! 和十が好きだからまだ死にたくない!!

 その必死の叫びは愛する和十に届いた。

「櫛!! 」
「和十、どうしてここに」
 鬼の出現に男達が戸惑いを見せる。
 その隙に和十はわたしを男達から奪い取り、その更に後ろを見据えた。
「聞こえたんだ。
 櫛の声と、お前達の後ろにいる・・・・・・女たちの声が」
「? 」
 ボコッ、という不思議な音に男達は振り返る。
 その音と共に地面からはい出してきたのは

 白骨化した手
 まだ肉が残る腕
 それは今まで犠牲になった娘達だった。

「な、何だこれは!! 」
 男達が悲鳴を上げる。

《人がいるぞえ》

《私を殺した奴はいるか》

《のうのうと生きておるぞ》

「なぜ最近不作が多発するか知っているか? 」
 おびえる男達に鬼は告げる。
「それはな、今まで殺してきた娘達の恨みだ!
 すでにこの社に神はいない。とっくに見捨てられているのさ!! 」

《私達は死んだのに》

「そ、そんな」
 男達がざわめく。自分達がしてきた事がこんな結果を招いているとは思っていなかった愚かな者達。
「逃げるぞ櫛。娘達は怨霊と化している。
 ここにいたらオレ達も引きずり込まれる」
 和十はわたしの手を引きそこから逃げ出そうとするが、更に自らの愚かさを露呈させた男達は和十に助けを求めた。
「ま、待ってくれ和十。なんとか出来ないのか? なっ、お前も鬼じゃろ」
 何て自分勝手なの! 自ら招いたことに自ら責任を背負えない村人。

《殺してしまうか》

《殺してしまえ》

 怨霊達がざわめく中、いつもやさしい鬼はその顔に鬼本来の気性を浮かべ言い放つ。
「教えると思うか? 櫛を贄にしようとしたお前達に」
 まさしくその通りの言葉に男達は何も言い返せない。
 やさしい鬼はそれでも一つの救済方法を告げる。
「そうだな、どうしても助かりたかったら誰かが犠牲になればいい。
 娘達は命を欲しがっているからな」
 その言葉と怨霊達の恐怖で一人の男が暴走した。
 立ち止まっていた和十とわたし、そのわたしに飛びかかり怨霊達の中へ投げ込んだのだ。
「いやあぁぁ」
 わたしは喉が裂けるほどの声を張り上げた。
 醜く恐ろしい姿の怨霊達がわたしに群がってくる。
「く、櫛は元々このために連れてきたんだ」
 あまりの自分勝手さにわたしは耳を疑う。そして更に男達はわたし達を残し逃げていった。
 こんな村のために犠牲になるなんて!
 わたしはさっさと村を捨てなかった自分を後悔した。
「櫛ー! 」
 そう、わたしの為にたった一人残ってくれるやさしい鬼。
 もうわたしはとっくに選んでいたのに。
「和十、和十! 」

《鬼? 鬼がおるぞ》

 わたしを助けに怨霊達の中に飛び込んだ和十に、わたしの回り以上の娘達が群がる。

《鬼だわ》

《ああ、なんて強い気》

「和十・・・・・・」

《欲しい》

《私達の仲間と・・・・・・》

「どけぇ!! 」
 和十が怒鳴り声を上げる。それは聞いたこともない怒りの声だった。
 それだけで自分がどんなに大切に思われているか分かる。
「櫛! 櫛ぃ!! 」
 和十・・・・・・
 怨霊達に取り込まれそうになる和十に、それ以上助けてとはわたしは言えなかった。
「逃げて」
「櫛? 」
「村のためっていうなら癪だけど、和十のためならいいよ、わたし。
 だから、逃げて」
 わたしは自ら怨霊達の中に進み出た。
 その様子を和十は茫然と見る。
 櫛を好きだったし、愛していた。
 櫛も自分のことを好きだと分かっているつもりだった。
 しかし自分のために命を投げ出すほどの愛を本当に自分は理解していたのか?



 自分が鬼だったらって

 和十と同じだったらって


 そんな櫛のため、何を惜しむことがあろうか?
 和十はそっと自分の角に手をやった。


 激痛が走った

 手を折られるより、足を切られるより激しい痛み。
 額を血が伝う。
 自分の中から今まであった力が抜けていくのが分かる。
 それも櫛のためなら耐えられる。


「角は鬼にとって命と変わるもの、これを・・・・・・やる」
 流れる血で視界がかすむ。
「だから、櫛を殺さないでくれ!! 」
 和十は惜しむことなく自らの角を娘達の頭上へと投げた。


 その角は和十と同じくやさしい光を放った



《光・・・・・・?》

《光よ》


 娘達をその光が包む。やさしく、そしてあたかい光だった。



「和十! 」
 解放されたわたしは和十の腕に飛び込む。けれど最初に出たのは感謝の言葉ではなく、非難の声だった。
「和十、どうして角を。どうしてそんな・・・・・・」
 わたしは角もすべて、何もかもが好きだった。わたしのために一生戻ってこないものを失うなんて。
「大丈夫だ」
 わたしのために体の一部を失っても、和十はいつも通りやさしかった。
 やさしくわたしを抱きしめる。
「角を失っても死にはしない・・・・・・」
「でも! 」
「ただ・・・・・・」
「和十? 」


 鬼でなくなるだけ



『昔々は、まだ人と鬼が住んでいた。
 これは・・・・・・


 鬼が鬼を捨てた話』


-完-

元々16pでマンガにしてました。一時期鬼の話が書きたくて仕方ない時期がありまして(笑)
女性が押せ押せな感じの小説ですね、私はそんな感じの女性が好きです。守られてる女性も好きですけどね、それだけじゃあだめです。
イメージは楠圭さんです。初期の時代物の話とか好きで、そこから思いつきました。
(2009.4.25)